1997年12月27日土曜日

リーダーシップについての一考察

1998.12.27

1. はじめに


不透明な時代を反映してリーダーシップへの期待が高まっている。特に、このような閉塞感が強まっている時代であるから、在来型のリーダーではなく、積極果敢に変化の旋風を巻き起こす、西欧型のカリスマ豊かなリーダーを求める声が高くなっている。しかしリーダーシップとは、そのリーダーが指導する組織の形態や、その組織が所属する社会の文化風土によって自ずとそのあり方が異なってくる。現代の日本社会において、さらに総合商社という組織を想定し、求められるリーダーシップとはどのようなものか、考えてみたい。

2. 外的環境によって異なるリーダーの要件

A. 社会風土とリーダーシップ

1. さまざまな文明とリーダーシップ

リーダーシップといえば、古代エジプトのような絶対的権限を持った支配者が整備された官僚制度を通じて支配、命令し、偉大なピラミッドのような建設を行う社会におけるリーダーシップを想起する。支配者の絶対的な権力と官僚組織、被支配者の民度の低さが特徴である。文明が進歩するに連れてこのやり方では通用しなくなる。そこでいろんな工夫がなされる。

たとえば、求心力として「宗教」や「イデオロギー」を利用して全員を一つの方向に向けるやり方である。イスラム教、十字軍、新教旧教をめぐる宗教戦争など。近代では共産主義政権下のソビエト。オーム真理教。一向一揆。ドグマが重視される一神教の社会である。特徴的なことは、当たり前であるが、はじめにドグマがあること。組織の構成員はそのイデオロギーを信じた上で組織構成員となっており、組織の目標は、そのイデオロギーそのものであること。また、その宗教的熱狂は、それほど長くは続かないことなどが欠点である。

徐々に文明が成熟し、社会の民主化が進んでくると、いろんな意見を持つ人が出現してくるので、社会は多様化してくる。その多様な人々を一つの方向に向かわせることは、もともと難しいし、多くの場合その必要性もない。しかし戦争勃発などの非常の事態には、全員が言葉で議論して方向性を確認することが必要になる(ギリシャ雄弁術の伝統)。ローマ時代には、非常時には「独裁官」を民主的に選ぶということもなされたし、外征する将軍には「絶対権限」が与えられた。ギリシャ、ローマ時代の共和制における軍隊は、いずれも「歩兵が強かった」ことに特徴がある(ギリシャの重装歩兵、ローマの亀甲軍団)。納得した上での出征であり、モラルが高かったということである。

「民主主義は怒りで戦う(デモークラシー・ファイツ・イン・アンガー)」。民主主義の軍隊は、戦争の初期にこそ弱いが、いったん本気になると絶対主義諸国の軍隊よりもはるかに強いとされている。20世紀の戦争が、社会全体を巻き込んだ総力戦の様相を呈するようになり、なかなか決着が付かないようになったのも、社会が総じて民主化されたため、どちらもなかなか負けなくなったからだ、といえる。

現代西欧社会では数々のすぐれたリーダーを生んだが、この背景には、ギリシャ、ローマ時代に遡る「民主主義体制下における戦争」という長い経験があるのかも知れない。

1. アジアの社会風土の特異性

このような西欧社会に対して、アジアの社会は独特の性格を有している。「村社会」、あるいは「コンセンサス社会」ともいえる、寄り合いによる意思決定システムである。このような社会においては、強いリーダーシップが発揮されにくく、すぐれたリーダーが育ちにくい。現状維持には向いているが、大変革期には向かない。近世、アジアが欧米からの挑戦に破れ、次々と西欧の植民地化されていったのも、この辺に原因があるのかも知れない。

またアジアには「多神教の風土」根付いている。「多神教」と「一神教」が戦うと、ほとんどの場合「一神教」が勝つ。

たとえば、新大陸に攻め込んだコルテス軍は、ただ神をひたすら信じて、数百の軍勢で数万のアステカ軍をせん滅した。プラッシーの戦いにおいては、インド軍は、十分な装備を有していたにもかかわらず、はるかに少人数のよく訓練されていたイギリス兵にさんざんにやられてしまった。

同じ理由で、現代の中国も「共産主義」と「ナショナリズム」が国を一つにまとめているから強国となっている。

2. 日本社会の特異性

ところが日本社会は、このアジア的性格と西欧的民主主義の伝統の二つを持っているので、一筋縄では行かない。日本社会に西欧的性格を与えたのは、鎌倉時代以降の封建主義であるとされる(川勝平太ほか)。

アジアには中央集権の絶対王制は根付いても、国王と封建諸侯の契約関係で成り立つ「封建主義」は、日本以外では成立しなかった。世界で封建主義が成熟したのは日本とヨーロッパでのみ。これが日本の近代社会への脱皮を容易にしたとされる。

基本的に農民であった鎌倉武士は、自分が開拓した農地を自分のものとするために公家勢力と必死で戦った(「一所懸命」)。ある意味では一つの価値観を全員が共有できたことが鎌倉幕府の強さだった。

同時に武士は、武家の頭領である頼朝を支えるかわりに頼朝は公家に対して武士の利益を代弁するという契約関係が基本に存在した。これが日本が近代社会へ発展するベースとなった。(主君に対して絶対的に服従するといういわゆる「武士道」は、江戸時代になってから考案されたもので、本来のものではない)

日露戦争までの日本軍の強さの秘密としての「奇兵隊」の伝統。奇兵隊は、農民で編成されたが、職業武士の軍団よりはるかに強かった。モラル。加えて「西洋に追いつきたい、追い越したい」とする強い願望があった。「文明開化」の旗印のもとに「大儀ある戦い」。「錦の御幡」。

しかし、日本には、伝統的に強いリーダーを好まない国民性がある。人気のあったリーダーも少なくないが、民衆に愛されたリーダーの大部分は悲劇的な最後を遂げたリーダーであったことは皮肉。義経、大石内蔵助、大塩平八郎、平将門など。

でも数百年に一度すごいリーダーが出現するのも日本である。源頼朝、大久保利通などは、卓越したリーダーで、日本人離れしている。でも両名とも、大衆の人気はない。

3. 国民性、社会風土は変わるか

このようなアジア的な「遅れた」社会を変えてゆかねばならないとの議論がある。しかし社会とか国民性は、簡単には変わらない。「百年河清を待つ」の類で、われわれにはそのような時間はない。

「アポロ計画」の例だが、急いで物事をやるときは、もっぱら手持ちの信頼できるリソーシスを最大限に活用して、新たな冒険を最小限にとどめ、客観条件を与件として考え、計画を進行させなければならない。

D. 組織の形態とリーダーシップ

1. 会社組織の三つの基本パターン

荒井伸也氏によると、会社組織には三つの基本パターンがあるという。

a. 製造会社型

大部分の製造メーカーがこれだが、会社の目的がはっきりしていて(たとえば「鉄を作る会社」とか)、その目的を達成するための分業を遂行するための組織。

組織は作業工程と同じであり、それぞれの部署の仕事が連動しあって、最終製品が出来上がる。それぞれの部署でやることは異なるが、すべての努力は一つの目的に集約されていく組織である。チームワークが重要。

すぐれた組織運営力がリーダーシップの基本となる。

b. 自動車販売会社型

「トヨタカローラ販売」といった会社組織である。全部の組織でやることは全部同じ(たとえば「車のセールス」)。カルチャーも全く同じ。

業績の拡大は、組織を並列的に拡大することと一人一人の戦闘能力を改善することで達成される。

「精神訓話型、朝礼型、マニュアル型」のリーダーシップが有効である場合が多い。

c. マスコミ、総合シンクタンク型

組織の構成メンバーと活動の多様性に特徴がある。皆がてんでバラバラにいろんな方向に動いているように見える。それぞれの価値観(カルチャー)さえ全く違う場合がある。ある部署で有効な教訓が別の部署では全く役に立たないことがある。でも完全にバラバラでコングロマリットかといえばそうでもない。一つにまとまっている。

そういう組織でのリーダーシップは難しい。統治しにくい。(日立、東芝などの総合電機メーカーでもそういう性格がある。だから日立のリストラが進まない。)

組織の構成と目的、その成果と評価が一本化されて明確になっている組織の場合、リーダーシップは、具体的なかたちで発揮されやすい(野球の監督、軍隊、製造工場など)。でもこのような多様性のある組織で、リーダーシップが具体性を持ちすぎる場合、むしろ現場現場の創意工夫を殺してしまう可能性もあるのである。

このように企業の形態によって求められるリーダーシップは異なる。総合商社は上記三つの企業の混合体といえるが、どちらかというと三つ目の「マスコミ、シンクタンク型」である。総合商社についてもう少し考える。

4. 総合商社におけるリーダーの条件

A. まず総合商社とは

総合商社におけるリーダーの条件を考える場合、総合商社とはどのような会社なのか、どのような将来像を持っているのかについて明らかにする必要がある。それ次第で必要とされるリーダーシップの性格が異なってくるように思われるからである。

1. 卸売業の位置づけ(商業は永遠なり)

総合商社の「トレード機能」について、将来トレードにはあまり期待できないと悲観的な見方が多いが、はたしてそうだろうか。商業、卸売業とはきわめて歴史のある産業である。近年、「大量生産、大量販売」が脚光を浴び、製造業者による流通支配が続いたため、商業に対する言われない劣等感が芽生えたように思える。実際には「大量生産、大量販売」の概念(フォーディズム)自体が時代遅れになりつつある。中間業者(商業)の役割が見直されつつある。

ただ大切なことは、「既得権としての商権」と卸売業の機能とは区別して考えねばならない。「既得権化した商権」はネガティブな性格を持っており、規制緩和と同じ考えでの望まねばならない。しかしそれは卸売業自体を否定するものではない。日本の農業が既得権化して生産性の向上が叫ばれてはいるが、農業自体を否定するものではないことと同じ。

2. 経営コンサルタント的な性格

総合商社は、卸売業者として、静的な意味での卸売業の役割に加え、動的(ダイナミック)に、時代のニーズに沿って新たな取引関係を開発し実現させていく機能がある。その中には投資活動も含まれる。投資銀行的な性格がある。これはロマンに満ちた芸術的な創作活動でもある。

もともと商社マンとは、個人プレーヤーであったのはこのような事情が背景にある。一人一人の商社マンが、「知恵者」として、業界の「経営コンサルタント」として、問題意識を持ち、改善の方向を提案し、説得し、創意工夫を持って活躍しなければならない。

「梁山泊、食客三千人」の世界である。

現場の各部門の創造性が大事になる。

C. その組織でリーダーシップとは

1. 共通の尺度で経営のプロが

このように多文化、多様性が錯綜している総合型企業においては、トップが個々の現場で、具体的に直接指揮することは不可能である。

また文化を強調する宗教的なリーダーシップも、社員が最初からその宗教を前提に入社してきたのでない以上、難しい。

やはり多様な現場で、みんなが納得できるものといえば経理データに近いものとなる。そのような「客観的メルクマール」(共通語)を探し、その共通の尺度で会社の進むべき方向性、理想を掲げ、ビジョンを提示し、目標設定と評価を実務的にマネージメントしてゆくこと。いわゆるアメリカ型の「経営のプロ」による経営が望ましい。

1. 先見性

それと「先見性」が非常に重要である。つまりリーダーは先が読めなければならない。先が読めて始めて組織の目標を設定することが出来る。その目標を継続的に組織として達成できるように、組織にその仕組みを「ビルトイン」することが重要である。

2. 自動操縦装置

かつての民青の指導者は「幾らリーダーが大声で突撃と怒鳴っても、声を聴いて突撃するのは廻りの数人だけだ、だからには日頃から全員の組織化(オルグ化)しておくことが大切」といったが、それと同じである。欧州の重電・エンジニアリング会社のABB(アセア・ブラウン・ボベリ)ではリストラ思考が組織にビルトインされているという。

「鼓腹撃壌」。古代中国で、皇帝がお忍びで市井を視察するに、一人の老人が穀物を食べて満腹し、腹鼓を打って踊りながら俺にとって皇帝や政治なんて関係ない(帝力いずくんぞ我に及ばん)」というのを聞いて、皇帝はこれなら国はよく治まっていると満足したという故事がある。このように意識されないリーダーシップというのが、平和で多様な東洋社会では望ましいのかも知れない。

3. ビジョンを「言葉」で示すこと

同時に組織の美しい将来像(夢)を社員に与えることが大切である。客観的尺度が無味乾燥な数字、経理データー中心にならざるを得ない以上、構成員のモラル向上のために、「錦の御幡」としての「夢」と「大儀」と「補足説明」が必要なのである。

全員に、思想を明確なかたちで伝えるということは、すなわち「言葉」が大切になってくるということである。

以上

1997年12月1日月曜日

「21世紀型チームワーク」と企業理念



チームワークとは「複数の人間がともに行動し一定の成果を上げるための人間関係の在り方」と定義することが出来るが、外的環境に変化(技術革新)が起こると、「チームワーク」もかたちを変えざるをえないのではないか。今回はそれがテーマである。

集団行動を考える場合、昔から軍隊を例に取ることが多い。高坂正尭の「戦争の世紀」と題する講演を聴いたことがあるが、その中で軍隊における歩兵戦術の変化を語っている部分がきわめて印象的であった。「チームワーク」を考える際に参考になると思う。

すなわち、近世のヨーロッパの軍隊の特徴的な敵陣突破の戦法は、銃火の中でも隊列を決して乱さないように集団訓練を施された密集歩兵集団による中央突破であったという。映画の「戦争と平和」のシーンを思い出せばよい。基本的にこの戦法でもってヨーロッパの軍隊はアジア・アフリカの軍隊を圧倒し、世界中に植民地を広げることができた。しかし技術革新の結果、この戦法は通用しなくなってしまう。

つまり小銃の射程距離と連発性能の向上である。単発銃が連発銃となり、射程距離が100メートルから1000メートルを超えるようになると、在来戦法による歩兵集団の前進は耐え難いほどの犠牲を伴うことになった。とりわけ普仏戦争での歩兵の犠牲が甚だしかったため、両国はこの伝統的な戦法を廃止し、兵士は密集集団を組むのではなく、散開して遮蔽物を利用しながら前進するようにいったんは改める。

ところが非常に興味深いことだが、しばらくすると再び元に戻ってしまうのである。歩兵操典は再び改訂され兵士は昔どおり「肘と肘とを触れ合わせ、ドラムとラッパの響きとともに前進する」ことになる。なぜ、この様な不合理なことになったのか。

「人間はなぜ戦うのか」という基本的な問題にも関連するが、散開する隊形では兵士は全体の状況を把握できず、孤立したことで士気が低下し、戦列からの離脱者が続出したのである。結局、密集隊形を組む以外に全員を一つにまとめることは出来ないと判断され、この「戦争と平和」スタイルの攻撃方法は変わることなく、第一次世界大戦では人類史上最も悲惨と言われる兵士の犠牲を生じさせることになった。そんな話であった。

考えるに技術革新(小銃の進化)にともない新しい戦闘方法(散開方式)は工夫されたものの、それに応じた適切な「チームワーク」手法の開発が追いつかず適応できなかったことによる悲劇と整理できる。

21世紀をひかえ、日本企業は組織をより柔軟でソフトなものに変える必要性が叫ばれている。問題は、今も昔も密集隊形から分散隊形に移行するとモラルの問題が生ずるが、それをどう解決するかということだろう。

携帯できる小型の通信手段が開発され、現代の歩兵は小規模な集団で散らばって行動出来るようになっている。未来型の企業組織においても、構成員はそれぞればらばらに行動するものの、全員による情報の共有が可能にする情報化推進が重要になってくるのである。

同時に「個」が尊重されながらも企業の一体感(総合力)を維持できることも大事になる。共通の価値観として「企業理念」の確認が大切になってくると思う。

橋本尚幸